那覇新都心 / おもろまち
2023/3
 那覇新都心は、1987年に全面返還された米軍住宅基地跡にできた新しい街です。
 ゆいレール・おもろまち駅から北西に伸びる那覇中環状線沿いに、T ギャラリア 沖縄 by DFS、サンエー 那覇メインプレイス、沖縄県立博物館・美術館、コープあっぷるタウン、天久りうぼう楽市が並んでいます。
 各施設の開業日は次のようになっています(全国ショッピングモール検索サイト博物館の沿革)。
天久りうぼう楽市 2000年10月6日 13,516u
サンエー 那覇メインプレイス 2002年10月 32,312u
コープあっぷるタウン 2003年12月
T ギャラリア 沖縄 by DFS 2004年3月
沖縄県立博物館・美術館 2007年11月1日
 サンエー 那覇メインプレイスは、那覇市ではイオン那覇店を上回る売り場面積ですが、沖縄県下では北中城村のイオンモール沖縄ライカムが圧倒的な規模を誇っています。イオンモール沖縄ライカムは全国では、22位の規模です(【全国の大型ショッピングモール】大きさ・売り場面積ランキング)。
イオン那覇店 1993年11月12日 25,000m²
イオンモール沖縄ライカム 2015年4月25日 86,000m²
 当初の土地利用計画図(牧港住宅地区(那覇市)-沖縄県)によると、リュークスタワー(30階建のツインタワーマンション)の建っている辺りは、市役所候補地だったようです。沖縄戦の激戦地として知られる慶良間チージ(シュガーローフは、安里配水池となっています。


おもろまちは新都心の一部
 「那覇新都心=おもろまち」のイメージがありますが、那覇新都心開発整備事業の対象地区は、「天久(あめく)、銘苅(めかる)、安謝(あじゃ)、上之屋(うえのや)、おもろまち」ですから(事業の概要|UR都市機構)、おもろまちは新都心の一部ということになります。
 次の行政地図(みんなの行政地図)の桃色で囲んだ辺りが那覇新都心です。茶色で囲んだ辺りが国際通り周辺の旧都心、オレンジ色で囲んだ辺りが首里地区、黄緑色で囲んだ辺りが那覇地区です。1879年の琉球処分以降、市の中心部は、首里→那覇→国際通り→新都心へと移っています。

 新都心の各地区は、次の図(那覇新都心地区計画)が示すように、新都心南北線、新都心西通り線、新都心東通り線、那覇中環状線といった幹線道路で区分されているようです。おもろまち地区には、商業・業務施設や高層住宅が集中していますから、新都心の中心部といえそうです。なお、「おもろまち」というのは、公募によって決められた新しい地名だそうです(アメリカ軍接収地に新しくまちを作った「那覇新都心」―那覇の未来へむけたまちづくり:第1回)。


米軍住宅基地の街路は一変
 この地区は、米軍が軍人の住宅基地として使用していましたが、1972年の本土復帰以来、返還交渉が続けられ、1987年にようやく全面返還されました。返還後の利用状況は次のようになっています。
面積(ha) 人口(人)
牧港住宅地区 195 3,000
那覇新都心 214(基地跡地192) 17,428(2008/4/1)
 返還前の1977年の牧港住宅地区は次のようになっていました。広い敷地に住宅が点在しています。周辺には住宅が密集しています。

 返還から間もない1992年の様子です。米軍の住宅は撤去されています。

 2005年の新都心の様子です。那覇新都心開発整備事業により道路が付け替えられ街路は一変しています。区画整理が必要となり、地権者の合意を得るのにかなりの時間がかかったものと思われます。

 商業施設の土地の所有関係は次のようになっています(那覇軍港地権者等課題研究等調査 報告書)。天久りうぼう楽市は用地を買い取ったようです。T ギャラリア 沖縄 by DFS、サンエー 那覇メインプレイス、コープあっぷるタウンは借地となっています。

 地権者が多数に及ぶため、開発期成会が当事者となって土地賃貸契約を結んだようです。