宮古島 / 与那覇前浜ビーチ
2024/3
「東洋一」だそうだが
 JTBのページでは、与那覇前浜ビーチは、「東洋一」と紹介されています(東洋一の砂浜 与那覇前浜ビーチ|日本の絶景 JTB 感動の瞬間(とき))。

 確かに、与那覇前浜ビーチは、雄大で美しいことに間違いはないですが、誰がどうやって「東洋一」と決めたのでしょうか。2021年には、「トリップアドバイザーのトラベラーズチョイス・ベスト・オブ・ベストのアジア部門ビーチで下地与那覇の前浜ビーチが日本で唯一、6位にランキングした」(前浜ビーチがアジア6位/国内唯一、「東洋一」証明)ということですが、2024年はアジア部門ビーチの10位には入っていません(トラベラーズチョイス アワード ベスト・オブ・ザ・ベスト・ビーチ)。ベスト・オブ・ザ・ベストは「実際に訪れた世界中の旅行者による意見や体験談をもとに決定されます」ということですが、各国の有名なビーチをすべて訪れた旅行者はほとんどいないでしょうから、具体的データに基づいた客観的判定はまず不可能です。結局、手前味噌で、言ったもの勝ちという感じがしないではありません。

島内観光は、レンタカーを使うほかない?
 与那覇前浜ビーチは、宮古空港から車で12分の距離にあります。レンタカーで行くのには、丁度良い距離です。
 路線バスは、上地南が最寄りのバス停です。バス停から与那覇前浜ビーチまで、路線図では徒歩20分となっていますが、実際はもっとかかります(路線バス案内|協栄バス・タクシー 宮古島定期路線図)。

 下地地区は、バス停(与那覇、上地南、下地役場前、洲鎌)の周辺以外には住宅は、ほとんどありません。住民のいない観光地の近くに路線バスのバス停がないのは当然かもしれません。

 那覇嘉手苅線は、市街地発着4往復しかなく、停車バス停が間引かれていたりして、経路はかなり変則的です。平良市街地から上地南へは、次の1往復しかありません(路線バス案内|協栄バス・タクシー 宮古島総合時刻表)。これだと、与那覇前浜ビーチの滞在は2時間ほどになってしまいます。
市場通り11:45 上地南12:10
上地南14:44 来間14:54
市場通り15:27
 市内のバス会社が共同で島内観光用のバス路線として、ループバスを試験的に運用していました。ループバスでは、観光地の近くにバス停が設定されているので、観光客には便利ですが、現在は運用を終了しています(宮古島ループバス)。ハイシーズンになると再開するかもしれません。
 バスに自転車を持ち込んで、市街地から上地南バス停まで行き、自転車で与那覇前浜ビーチ周辺を回り、その後、来間大橋経由で来間島を観光し、来間のバス停からバスに自転車を持ち込んで、市街地へ戻るという手もありそうです。バス会社に自転車を持ち込めるか問い合わせたところ次のような返事がありました。
お問い合わせありがとうございます。
輪行バックに入れてあれば持ち込み可能です。
宮古協栄バス 
 今回の旅では、バスは使わず、平良市街から自転車で与那覇・来間へ行ってみました。前浜ビーチまで50分ぐらい、前浜ビーチから来間大橋経由で来間島の竜宮展望台まで20分ぐらいです。来間島の浜辺に行ったり、シーウッドホテルでランチをしたりして、快適なサイクリングとなりました。

 リゾート線なら東急ホテル前まで行けます(路線バス案内|協栄バス・タクシー 宮古島リゾート線路線図)。東急ホテル前から与那覇前浜ビーチまでは、いったんホテル敷地を出て迂回することになるので、徒歩で14分ほどかかります。

 リゾート線なら市街地発着で3往復あり、与那覇前浜ビーチの滞在は1時間弱に収まります(路線バス案内|協栄バス・タクシー 宮古島リゾート線時刻表)。
市場通り11:37 東急ホテル前12:03
市場通り13:48 東急ホテル前13:20
市場通り14:02 東急ホテル前14:30
市場通り16:08 東急ホテル前15:40
市場通り14:57 東急ホテル前15:25
市場通り18:28 東急ホテル前18:00
 ループバスが走っていれば、観光地を効率的に回れますが、路線バスしか使えなければ、恐ろしく時間がかかるうえ、やたらと歩かされます。結局、島内観光は、レンタカーを使うほかないということにもなります。

与那覇湾沿いに集落が集中
 明治30年代(1900年ごろ)の宮古島の行政区画は次のようになっています(綾道-宮古島市neo歴史文化ロード下地来間コース前半)。平良、砂川、下地の3つの間切の支配下に各村があります。

 間切と村の関係は次のようになっています(近世の間切と村のたたずまい)。村は各地域の集落で、その上部組織である間切の役人が各村を統括する形となります。
(村は)納税の主体として位置づけるには小規模に過ぎ、諸事務をこなす能力も無いとして、古琉球以来の行政単位の「間切」にその役目を負わせたのである。古琉球でも近世にあっても「村」は自立した存在では無く、王府の指揮命令の下にある下請けの存在であったといえよう。 
 1908年に町村制が施行され、間切が町村、村が字になります(沖縄県及島嶼町村制)。下地間切も下地村となり、その後、伊良部島の各村落が分離し、砂川間切の一部(現在の上野村)を吸収しますが、戦後に上野村が独立します(宮古島皆愛集落の成立と解体・再編成)。
当時の下地間切の構成村は,上地村,川みつ村,洌鎌村,与那覇村,くれま村の5村落であった。その後明治になって,現在の伊良部島の各村落を吸収したが,下地村が成立した明治41年(1908)には,伊良部島の各村落が分離し,砂川間切に所属した現在の上野村の構成村落が吸収された。昭和23年(1948)に,上野村が成立し,現在の8部落体制が定着したのである。下地町の諸部落についてみると,与那覇湾沿いに展開する川満,洲鎌,上地,与那覇と,離島である来間が,伝統的な村落である。これに対し,南部海岸の与那覇前浜から入江湾にかけて小集落が点在しているが,その歴史は新しい。
 2001年3月末の各集落の人口と世帯数は次のようになっています(琉球・来間島の家族慣行と祭祀組織)。市営団地を含めると、上地地区981人、与那覇地区680人、川満地区544人で、与那覇湾沿いにある旧来の集落に人口が集中しています。

 来間島は、1968年に583人が暮らしていましたが、その後20年足らずで人口は200人前後に激減しています。1972年の沖縄本土復帰後、来間島にも観光開発の動きがありましたが、バブル崩壊後は撤退しています(来間社会の二元的構造とブナカ 村落祭祀とヤーマ)。2020年には、来間小学校が閉校しています(124年の歴史に幕/来間小で閉校式)。2023年9月の住民基本台帳に基づく人口は148人です(来間島の情報|ritokei(離島経済新聞))。2020年に開業したリゾート シーウッドホテルは、107棟のヴィラとホテル棟(62室)で構成されていますから(一休.com)、80世帯程度しか住んでいなかった来間島に、いきなり160世帯を上回る集落が出現したことになります。

東急グループが観光開発
 与那覇前浜ビーチがリゾート観光地として注目を集めるようになったのは、東急グループが観光開発に乗り出してからです。なお、平良方言では、「マイ」(前・表)は南をも意味するそうで、与那覇の南方の浜だから与那覇前浜と呼ばれているそうです(「宮古の地名」 を歩く (3))。
 宮古島東急ホテル&リゾーツは与那覇前浜の保安林(防風林)の一角にあります。敷地はかなり広く、緑地と池の周辺に遊歩道が整備されています(施設案内 | 宮古島前浜ビーチを望む絶景ホテル 宮古島 東急ホテル&リゾーツ【公式】)。

 海から見ると、保安林の一部が切り開かれ宿泊客向けの浜辺が整備されているように見えます(南国の極上リゾートを満喫!宮古島東急ホテル&リゾーツの魅力│近畿日本ツーリスト)。この浜辺は、与那覇前浜ビーチから少し離れていて、プライベートビーチのようになっています。保安林が一部カットされているように見えますが、宿泊棟が風よけとなり代替機能を果たしているのかもしれません。

 東急グループは、1972年から与那覇前浜一帯の土地を買い進め、1980年2月に、次の図のようなセンターゾーン(54ha)、リゾートライフゾーン(157ha)、自然観賞ゾーン(19ha)の3つからなる230haの開発プランをまとめました。1984年4月、宮古島東急リゾートホテルが開業し、1988年4月8日にエメラルドコーストゴルフリンクスが開業します(東急100年史 5章 1980−1989 |東急株式会社)。1988年は、バブル景気(1986年12月〜1991年2月)の絶頂期でしたが、その後バブルが崩壊し、全国各地のリゾート計画が頓挫しました。なお、エメラルドコーストゴルフリンクスの面積は、698,634平方メートル(69.8634ha)ですから、当初のプランの半分以下となっています。


開発プランは大幅に縮小
 バブル崩壊後、 東急の開発プランも滞っていましたが、ようやく2013年11月に、まいぱり宮古島熱帯果樹園が開業しました。これによって、「同グループが同地区内で所有する土地すべてが活用されることになった」(東急グループ「まいぱり」が開業/式典で関係者テープカット)ということですから、「センターゾーン」は、「宮古島東急ホテル&リゾーツ」と、「まいぱり」だけとなり、開発プランは大幅に縮小されたことになります。

 宮古空港から与那覇前浜へは、県道243号、国道390号、県道191号、県道235号経由で南西に向かいます。右手に、宮古島東急リゾートホテルが近づいて来ると、県道235号は左へ90度曲がりますが、そのまままっすぐ進むと、防風林を抜けて浜の駐車場に到着します。一方、左へ曲がり、次の交差点を右に曲がり、まっすぐ進めば、防風林を抜けて浜に出ることができます。こちらは、来間・前浜港(前浜地区)ということで、来間島へ定期船が就航していましたが、1995年に来間大橋が開通したため、定期航路は廃止されました(沖縄県公式ホームページ)。結局、浜へのアクセス道路は2本あり、それぞれに駐車場があることになります。2本のアクセス道路と保安林に囲まれたエリアは、手つかずのまま残されました。東急グループは、買い占めた土地を手放したのでしょうか。


「センターゾーン」に公園整備計画
 以上のように「センターゾーン」開発は未完のままとなりましたが、この地域には、沖縄県により、次のような広域公園を整備する計画が進められています((仮称)宮古広域公園基本計画について)。2本のアクセス道路と保安林に囲まれたエリアは、「まいぱり」とともに、観光・レクリエーションの開発が計画されています。道路を隔てて、「まいぱり」の隣にエントランスゾーンが計画されています。「まいぱり」の東隣に健康・スポーツゾーンが計画されています。保安林は保存し、来間・前浜港(前浜地区)の東側の保安林は拡張整備する計画です。

 広域公園の基礎調査が始まったのは2012年度です(配慮書対象事業の目的及び内容 )。

 2013年に宮古広域公園の候補地として9か所が選定され、2014年3月に前浜地区と下地島地区の2か所に絞り込まれ、2014年6月に前浜地区に決定しています(仮称)宮古広域公園」基本構想の策定にあたり)。 

 「まいぱり」が開業したのが2013年11月です。広域公園の基礎調査が始まったころには開業準備が始まっていたものと思われます。ただし、広域公園の候補地に前浜地区が含まれていることが明らかとなったのは、2013年11月になってからですから、広域公園計画に先駆けて駆け込み的に開業したのではなさそうです。

公園区域内のヴィラが閉館
 「まいぱり」の南西側の土地の緑が削られています。

 ここには、ザ・ヴィラ前浜ビーチというヴィラがありました(ザ・ヴィラ前浜ビーチ<宮古島>【楽天トラベル】)。

 このヴィラは、2020年2月に開業し、2022年8月に閉館しています。「【(仮称)宮古広域公園基本計画】のエリア内に位置することから営業継続の協議を続けてまいりましたが合意に至らず」ということだそうです( 不思議な宮古島の新たな観光地☆結局誰の土地なの?)。
 前述のように、2012年度に広域公園の基礎調査が始まり、2013年に宮古広域公園の候補地として9か所が選定され、2014年3月に前浜地区と下地島地区の2か所に絞り込まれ、2014年6月に前浜地区に決定しています
 2017年2月の基本計画によると、「隣接する集落・宅地群との境界は、住環境や経済活動への影響が少なく、公園内の配置計画にも支障の少ない境界とする」「県道保良上地線沿いに立地する宅地、建築物については、最終的には公園区域から除外する」となっており、区域図では既存の宅地や建築物に配慮されています((仮称)宮古広域公園基本計画 平成29年2月)。「まいぱり」は公園の1区画のような形で併存するようです。

 つまり、ザ・ヴィラ前浜ビーチの開業3年前には、宮古広域公園の開発区域が明らかとなっていたことになります。ヴィラの開発業者はそのことを知らなかったのでしょうか。