宮古島 / 概要
2024/2
 沖縄県の南西部に、宮古島周辺の宮古諸島と、石垣島周辺の八重山諸島があり、両諸島を合わせて、先島諸島と呼ばれています。
 宮古島は、沖縄本島と台湾の、ほぼ中間に位置します(宮古島の地理 | 旅の基本情報 | たびらい)。

 石垣島は、少し台湾寄りです(八重山の地理 | 旅の基本情報 | たびらい)。

 那覇市と宮古島市と石垣市の、面積、人口、人口密度を比較すると次のようになります(沖縄県の市町村別面積・人口・人口密度【2023年12月】 |  知識時間)。那覇は都会で人と車が多く渋滞がありますが、宮古島は人も車も格段に少なく、渋滞はありません。
  那覇市  宮古島市 石垣市 
面積  41.46㎢  203.90㎢   229.15㎢ 
人口  312,571人  53,087人  48,170人 
人口密度  7,539人/㎢  260.3人/㎢ 210.2人/㎢ 
 宮古島は次のエリアで構成されています(宮古島エリアマップ)。

 宮古島市は、2005年に平良市(ひららし)、城辺町(ぐすくべちょう)、下地町(しもじちょう)、 上野村(うえのそん )、 伊良部町(いらぶちょう)の5市町村が合併して誕生しました(宮古における市町村合併の経過)。
 各市町村、地域の人口は次のように推移しています( 宮古地区市町村別人口の推移市街地増え、旧郡部は減/市の人口第1期 宮古島市みなとまちづくり基本計画)。県の資料には、市町村合併以降の各地域のデータは掲載されていないので、宮古毎日新聞と宮古島市のデータで補いました。データはそれぞれ微妙に異なります。水色は人口増加を、朱色は人口減少を示しています。終戦直後と比べ、増加しているのは平良市区のみで、城辺町区と伊良部町区は大きく減少しています。
年次管内総数宮古島市平良市城辺町下地町上野村伊良部町多良間村
昭和25年74,66830,89716,5146,4275,54711,4833,800
昭和30年 75,392 32,716 16,605 6,177 5,783 10,815 3,296
昭和35年 72,339 32,506 15,433 5,703 5,005 10,796 2,896
昭和40年 69,825 32,591 14,559 5,206 4,603 10,263 2,603
昭和45年 60,953 29,721 12,053 4,022 3,739 9,132 2,286
昭和50年 57,762 29,301 10,883 3,116 3,493 9,164 1,805
昭和55年 60,464 32,924 10,203 3,017 3,500 9,153 1,667
昭和60年 60,167 58,535 33,406 9,671 2,921 3,502 9,035 1,632
平成2年 57,458 55,429 33,124 8,564 2,892 3,227 8,155 1,496
平成7年 56,248 54,326 33,387 7,896 3,045 3,179 7,424 1,317
平成12年 55,805 54,249 33,726 7,649 3,206 3,183 6,709 1,332
平成17年 55,200 53,493 34,190 6,879 3,225 3,274 6,236 1,396
平成18年 54,442 53,127 1,315
平成19年 54,021 52,734 1,287
平成20年 53,626 52,352 1,274
平成21年 53,478 52,222 1,256
平成22年 53,452 52,203 34,746 6,094 2,963 3,031 5,205 1,249
平成23年 53,209 52,024 1,185
平成24年 53,122 51,959 1,163
平成25年 53,036 51,885 1,151
平成26年 52,732 51,614 1,118
平成27年 52,441 51,356 1,085
2015年51,18635,2805,3862,8922,8594,769
平成28年 52,164 50,997 1,167
平成29年 52,343 51,180 1,163
平成30年 52,456 51,299 1,157
令和元年 53,289 52,176 1,113
2020年52,96236,8624,9122,8793,7234,585
 八重山圏域(人口のほとんどが石垣市)と宮古圏域(人口のほとんどが宮古島市)の人口の推移は次のようになっています(八重山の人口、宮古を逆転「移住ブームで増加」 | 沖縄タイムス+プラス)。宮古圏域の方が2万人以上多かったのですが、高度成長期に大きく減少し、その後も周辺区域の過疎化が進んでいます。一方、八重山圏域も高度成長期に減少していますが、その後は増加を続け、宮古圏域を逆転しています。

 この逆転現象の原動力となったのが、石垣島への移住ブームです(移住者の受け入れと地域継承の課題?移住ブームが続く沖縄・裏石垣からの報告?)。多くの移住者を受け入れたのが、北部海岸沿いの裏石垣と呼ばれる地域です。この地域でも、宮古島の周辺部同様に過疎化が進んでいますが、それを埋める形で移住者が転入し、さらに集落外にも移住者が増えています。


かつては琉球全体の4分の1の人口を有していた
 近年では先島諸島の過疎化が問題となっていますが、18世紀前半においては、次のように先島諸島は琉球全体の4分の1の人口を有していたと推計されています(近世琉球における人口推移の地域性について)。

 しかし、1771年の宮古・八重山大津波、さらに飢饉と疫病が続き、先島諸島の人口は大幅に減少したのに対し、沖縄本島の人口が急増します。その結果、1880年の時点で、琉球全体の人口に対して、先島諸島の人口が占める割合は7分の1に減少しました。そして、現在では15分の1となり、先島諸島の過疎化は深刻な事態となっています。ただし、最近では移住ブームや観光人気により、人口増加も期待できそうです。

 八重山は18世紀以降の人口を史料から詳細に追うことのできる唯一の地域だそうで、18世紀の後半から19世紀までは次のように推移しています。


 同じ先島諸島でも、石垣島と宮古島では地形はかなり異なっています。石垣島は、火山島と隆起サンゴ島が合体した島であるのに対し、宮古島は隆起サンゴ島です(宮古・八重山諸島先史時代における文化形成の解明 :遺跡属性と生態資源利用の地域間比較を通した文化形成の考察)。火山島は土壌が肥沃で水資源が豊富であるのに対し、隆起サンゴ島は土壌が貧弱で水資源が乏しいという特徴があります。

 石垣島は、中央部に山が連なっています(日本の地形千景 沖縄県石垣島:平久保崎と海成段丘面)。於茂登岳(525m)は、沖縄の最高峰です。

 石垣島は、岩石の博物館と呼ばれ、地質図の色がカラフルです(石垣島 | 島をさがす | 岩石鉱物図鑑 | 沖縄県立博物館・美術館)。

 一方、宮古島は断層の起伏があるものの、全体に平板です(日本の地形千景 沖縄県:宮古島の砂川地下ダム)。