/ 国際通り

 国際通りとは、沖縄県庁北から安里(あさと)三差路までの、1.6キロ2車線の道路です。図(まちのすがた)の赤線で示された部分です。かつては、那覇の中心的なショッピング街でしたが、今では、飲食店や土産物店が並ぶ観光街となっています。

 東端で、ゆいレール牧志駅に接続し、西端にはバス停が集中し(主なバスのりば)、ゆいレール県庁前駅もすぐ近くなので、交通の便は良いです。


 琉球王国時代は、浮島と安里は長虹堤(ちょうこうてい、1452年建設の海中道路)で結ばれていました(沖縄県立図書館)。

 その後、浮島の周辺は埋め立てが進み、商業地域としての那覇地区が形成されます。琉球処分後、沖縄県庁は那覇地区の西町に置かれていましたが、1920年に美栄橋町(現在の泉崎1丁目)に移転しました。1934年に県庁と安里を結ぶ新県道が完成しました。これが、今の国際通りの前身です(県道開通80周年記念 あの頃の国際通り :  那覇市歴史博物館)。開通式当日の新県道の様子は次のようになっていました(新県道(国際通り) :  那覇市歴史博物館)。

 一方、1914年から23年にかけて、那覇駅を起点に与那原、嘉手納、糸満へ軽便(けいべん)鉄道が施設されました(那覇駅跡(ナハエキアト) :  那覇市歴史博物館)。軽便鉄道は沖縄戦で破壊され消滅しています。那覇駅跡は、今では那覇バスターミナルとなっています。

 沖縄の鉄道建設については、その必要性や可能性について、検討が行われているようです(沖縄の鉄軌道についての一考察陸上交通の現状・課題及び対策について)。

 国際通りの名前は、アニー・パイル国際劇場に由来します。
 次の写真は、1951-1952頃のアニ・パイル国際劇場です(那覇市歴史博物館)。この劇場名から、「国際通り」と名付けられたそうです。

 その後、アニー・パイル国際劇場は国際ショッピングセンターとなり、現在は、てんぷす那覇となっています。

 那覇市全域は沖縄戦で壊滅し、米軍の占領下に置かれ、米軍施設の1マイル以内での民間施設の建設が禁止されました。その後、壺屋町(現・やちむん通り辺り)への一部住民の帰還がまず始まり、制限は次第に解除されていきました。神里原(かんざとばる)通りには、沖縄山形屋とリウボウ(丸金デパート2階)が出店し沖縄一の繁華街となります(【まちのすがた】「新県道」から「国際通り」へ)。

 沖縄山形屋は、もともと山形屋呉服店沖縄支店でしたが、戦後、独立して神里原に開業しました(【FILMS】沖縄山形屋の屋上遊園地)。リウボウは、戦後にできた会社です。
 その後、1954年にリウボウが、1955年に沖縄山形屋が国際通りに移転します。1957年には、大越百貨店(後の沖縄三越)が開店し、国際通りが中心的な繁華街となります。
 1991年にリウボウが県庁北側の「パレットくもじ」に移転、1999年に沖縄山形屋が閉店、2014年に沖縄三越が閉店し、国際通りから百貨店が消えました(沖縄で唯一の百貨店、リウボウの歴史を振り返る)。
 鉄道のない沖縄では、自家用車が主な交通手段となり、買い物客は駐車に便利なショッピングモールに流れるようになりました。その結果、国際通りは商業の中心地から、観光客向けの飲食・土産物店街へ変化しつつあります。国際通り周辺にはホテルも増えています(沖縄ホテル一覧)。
  変遷  現在 
沖縄山形屋 1955〜1999閉店 ホテルJALシティ那覇
リウボウ 1954〜1991移転  レグザリウボウ
沖縄三越 1957〜2014閉店
ハピナハ2015〜17閉店
琉球王国市場2018〜19閉店
国際通りのれん街
那覇オーパ 1996〜2013閉店
2018カフーナ旭橋に再進出
ドン・キホーテ国際通り店

▲沖縄山形屋跡地に建てられたホテルJALシティ那覇。全302室のシティホテルです。ツインルームに1人で泊まって1泊8000円〜14000円。季節や曜日によって料金は変動します。美栄橋駅から徒歩8分、国際通り中央にあるので、観光には便利です。

▲リウボウ跡に建てられたレグザリウボウ。ホテルロコアナハやファミリーマート、回転寿司などが入店しています。ホテルロコアナハは、全222室のシティホテルです。シングルルーム1泊6000円〜15000円。県庁前駅より徒歩2分の好立地です。 

▲県庁北側にあるパレットくもじ。再開発によって1991年に開業した地下2階地上9階の商業ビルで、国際通りから移転したデパートリウボウが中核店舗です。那覇市歴史博物館やオフィス、法律事務所も入っています。

▲沖縄三越跡に開店した国際通りのれん街。沖縄三越の建物をそのまま使っています。
 沖縄三越は、1957年に「大越百貨店」として開業し、1970年に三越と提携し「沖縄三越」へ名称を変更しました(沖縄三越が9月で閉店、1957年創業の百貨店)。国際通り側の旧館と、1991年に増築した新館・居宅部分が一体的に運営されており、一番古い建物は築40年以上がたち、老朽化していたそうです。また、豊崎マイキッチン、空港売店、コーチショップの3事業を運営しており、売上高のうち大半を百貨店事業が占める一方で、利益面はほぼ3事業によって支えられていたということです(リウボウHD、沖縄三越跡利用に向け交渉)。
 沖縄三越が2014年に閉店した後、後継の施設は、ハピナハ琉球王国市場国際通りのれん街と短期間にめまぐるしく入れ替わっています。
 まず、ライバル業者のリウボウ商事が、2015年3月に「HAPiNAHA(ハピナハ)」を新装開店します。1階には子供向けのお菓子ショップと飲食店、2階には子供向けの雑貨店とレストラン、3階はよしもと沖縄花月、4〜6階には沖縄おもろおばけ屋敷、とかなり雑多な構成となりました(【三越跡】3/12 にオープンする「HAPiNAHA(ハピナハ)」にてぃーだスタッフが潜入にしてきた!)。しかし、2017年6月に閉館してしまいます(今日でさようならHAPiNAHA(ハピナハ) )。
 2018年12月、リウボウ商事はハピナハ跡に琉球王国市場をオープンしますが、2019年5月、管理・運営を行っていた琉球451交易が倒産し(国際通りの三越跡の飲食街「琉球王国市場」 運営者が倒産 負債額7億6千万円 営業は継続)、9月には完全に閉店。その後、飲食店の企画、運営などのノウハウを持つ県内外の企業が連携し(沖縄の国際通り 40店舗でレトロな横町スタイル 旧三越をリニューアルして「のれん街」)、2020年2月1日に、国際通りのれん街がグランドオープンしました(「国際通りのれん街」が沖縄三越跡地に横丁スタイルでグランドオープン!)。国際通り屋台村と似た発想ですが、こちらの方が周辺住民との摩擦は少ないかもしれません(「眠れない」 沖縄・屋台村の騒音や汚臭 周辺住民から苦情 那覇市、管理会社と対策も…「うるさくて眠れない」 那覇の屋台村、住民から苦情

 閉店後の沖縄三越の北西はぽっかり空き地になっています。

 実はここには、最近(2015年)まで19階建ての那覇タワーが建っていて(
那覇タワー ゼファー 三越 ハピナハ そして・・・)、三越のロゴマークと一体となってランドマークとなっていました↓。
 
 那覇タワーは、7階建ての駐車場棟と19階建てのタワー棟が連結したような形となっていましたが、駐車場棟は地下を除いてショッピングセンター「マキシー」に全面改装されました。しかし、所有会社が破産し、その後、持ち主は転々と移りました(TOWER FANTASIAゼファー那覇タワー)。 
 那覇タワーは、2014年、グリーンリッチホテル那覇を経営しているグリーンホテル・ズ コーポレーションが8億円で購入しています(那覇タワー購入金額は8億円 グリーンホテル・ズ)。2015年に解体され更地となっています。

 事業者としては、那覇タワー跡と沖縄三越跡を一体として再開発したいところだと思います。しかし、那覇タワー跡はグリーンホテル・ズ コーポレーションが所有しているのに対し、沖縄三越の土地建物の所有者は、沖縄三越と大城組の親会社オーエスジー、一般地権者の複数から成っているそうです(リウボウHD、沖縄三越跡利用に向け交渉)。
 当事者がこれだけ多いと、何らかの合意に達するのは容易ではないと思われます。