概要 / 那覇市の概要

 現在の那覇市に当たる地域全域は沖縄戦で壊滅し、米軍が占領し住民の立ち入りは禁じられました。その後、制限は順次解除されましたが、早期に解放された地域ほど雑然とした密集住宅地となり、占領地の返還が遅れた地域ほど、計画的に区画整理され、すっきりした街並みとなっています。

 戦前の那覇市は現在の那覇市の一部地域でしたが、1954年に首里市と小禄村を、1957年に真和志市を編入し現在の大きさになりました(沖縄県公文書館)。それぞれの区域は図(まちのすがた)のとおりです。  
首里(しゅり) 王都→首里城に日本陸軍が駐屯→戦後は住宅地、観光名所に
那覇(なは)  王国の貿易港→王国滅亡後は商業と行政の中心に
真和志(まわし) 農村→南部は戦後住民が急増→近年、北部に新都心
小禄(おろく)  農漁村→日本海軍の航空基地→沖縄観光の空の玄関
 首里は琉球王国の都でしたが、琉球処分(1879年)により王国は滅亡し、首里城は日本軍の駐屯地、各種の学校等に使われ(首里城について) 、沖縄戦で消失しました。古い住宅が多く、首里城は戦後復元され観光名所となっています。首里城周辺と(首里に隣接する)浦添は丘陵となっていて日本軍が拠点を置いたため、沖縄戦では住民を巻き込んだ激戦地となりました。
 那覇は、王国の貿易港でしたが(那覇港の歴史)、琉球処分後は行政の中心が首里から移り、戦後は旧那覇の東隣の久茂地(くもじ)・牧志(まきし)の国際通り周辺が 商業と行政の中心となりました。 
 真和志 は、戦前は農村地域でしたが、南部地域は戦後いち早く米軍の占領から解放されたため、旧那覇の住民が流入し、密集住宅地が生まれました(那覇市の戦後の密集市街地と真和志市)。
 一方、真和志北部地域は、米軍占領地の返還が始まったのが、1972年の本土復帰後で、返還地は現代的な「新都心」となっています(まちのすがた)。
 小禄は農漁村でしたが、日本海軍が小禄飛行場(現・那覇国際空港)を建設し、戦後は米軍基地が作られました。本土復帰後は、返還地は区画整理され、すっきりした街並みとなっています。那覇空港の第2滑走路は、2020年3月26日に供用が始まり、年間発着回数は13.5万回から24万回に拡大しました(那覇空港、第2滑走路オープン JTA機長「違う空港みたい」)。

 各地区の人口と高齢化率は次のとおりです(那覇市人口統計)。首里地区と真和志南部の高齢化が進んでいます。
  人口 65歳以上
本庁 100,093 22.1%
真和志 105,484 23.1%
首里 57,283 26.3%
小禄 59,718 17.4%
合計 322,578 22.3%

那覇市内史跡・旧跡案内
昭和のなは ジオラマ展示 - 那覇サンシャイン通り会